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SN 393は、393年に中国人が記録した超新星爆発に対して近代になってから付けられた名前である。この記録は、次のように述べている。 上記の記録で述べられる第2朔望月は、紀元393年の2月27日から3月28日、第9朔望月は、10月22日から11月19日に相当する。尾宿は鉢の形のアステリズムで、今日のさそり座の尾の部分を形成する。このアステリズムは、さそり座のε、μ、ζ、η、θ、ι、κ、λ、νである。客星の視等級は推定で-1に達し、裸眼では見えなくなるまでに約8ヵ月を要した〔。この期間の長さは、この増光が超新星に由来することを示している〔。 超新星爆発によって恒星から吹き飛ばされる物質は、周囲の恒星間物質を一掃し、ガスとプラズマから構成される超新星残骸を形成する。1975年、SN 393が観測された領域には、7つの超新星残骸しか知られていなかった。その最大等級から、SN 393は当初、1万パーセク近辺の距離で起こったと推定されていた。この推定が正しければ、3つの候補が残る。1つめの候補G350.0-1.8は推定年齢が8000歳であり、SN 393の残骸としては古すぎる。2つめの候補G348.5+0.1とG348.7+0.3は約1万パーセクとちょうど良い位置にあり、推定年齢は1500歳である〔。しかし、この超新星は塵の多い銀河面に沿ったところで発生しており、8ヵ月も裸眼で見えたことは説明しにくい〔。 1996年、ROSAT All Sky Surveyは、この領域に新しい超新星残骸RX J1713.7-3946を発見した。2年後、これはSN 393の残骸の可能性が高いことが提案された〔。1999年に行われた観測では、この残骸は6000パーセク離れたHII領域G347.611 +0.204と相互作用していることが示唆された。しかし2003年の観測では、距離は1000パーセクとされた。この推定は、2004年に行われた、残骸と地球との間の物質のX線と中性水素吸収線の研究で支持された。残骸の角直径を70′とすると、物理的な直径は20パーセクとなる〔。 超新星残骸RX J1713.7-3946は、質量が少なくとも15太陽質量の恒星のII型超新星またはIb型超新星と一致する。爆発により約1.3 × 1051 ergのエネルギーが発生し、3太陽質量分の物質を周囲の恒星間空間に噴出した〔。 ==出典== 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「SN 393」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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